「東京マグニチュード8.0は今年最低のアニメ」
こうのたまってたのは「そこ☆あに」のくむPさんです。
10/4配信のポッドキャスト、33分ごろから40分ごろまで、熱く語っておられます。
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この意見、わしは支持します。
「東京マグニチュード8.0」はリアルでは見ず、全部Veohで見てました。
一応最終回まで全部見ましたけど、各話冒頭で表示される「膨大なリサーチと証言に基づくシュミレーションであり、リアリティーを追求し・・・」というこの文言に対して、看板に偽りあり、と思える所が多すぎて、最終的になんだかなぁ、って作品になってるんですよ。
以下、その理由です。長いですよ。
1・非常にご都合主義的な位置関係
東京に土地勘のある人なら、主人公姉弟が地震に遭遇した台場と彼らが帰宅するべき世田谷(成城辺りだっけ)、この途中に姉、未来の通う麻布の中学麻布、姉弟をサポートする真理の住まいである三軒茶屋、が綺麗に一直線で並んでいる事が判るはず。
実際の問題として、現在位置、帰宅場所、自分や同行者に関連する場所が綺麗に並ぶ訳がない。これだけ綺麗に並ばせているのは演出的な糸が介在する事は見え見えで、この点だけ見たってリアルというよりご都合主義的と言わざるを得ない。
特にわしが気になるのは、お姉ちゃん=未来の通う麻布の学校の扱い方だ。
ここで彼女はそれまで履いていた、少しヒールの高いサンダルのような履物から、学校に置いてあった運動靴の様な履物に履き替えるんだけど、わしはこのシーンがとてもご都合主義に見えてならない。
実際に大災害にあった時、帰宅難民になった女性にとって履物の問題ってのは非常に大きなはずだ。
男性と違い、女性の履物は機能性よりファッション性に重きを置いた履物が多いと思うが、それが災害時には足を守ることが出来ない、長時間の徒歩に耐え切れない履物になってしまうだろう事は容易に想像できる。
実際、未来はそういう履物を履いたまま、大地震に遭遇してるわけで、指摘してる問題に直面してると言ってもいい。
で、この問題の解決策が「帰宅路の途中に学校があるから、そこで履き替えた」ってのはどーなのよ、って事なのだ。
こんな偶然に偶然が重なったような解決方法がリアリティの追求になるかっての。
わしが脚本家なら、ここは倒壊した靴屋から履きやすい靴を拝借する、それに嫌悪感を示す未来に、真理が”大人の知恵”で対処する事を教え、しかし反抗期で大人の言動が信じられない未来はそれに従わず、子供の浅知恵で対処しようとして、結局はよりドつぼにはまる、従いたくはないけど渋々、真理の言う大人の知恵で事を解決して、未来は一つ学ぶ、って按配で話を進めるかな。
つまり話の持っていき方として、
”反抗期の少女が大災害に直面し、短期間で大人になる”
みたいな方向であるべきだと思うのだよな。
そうでなければ、地震のような大災害をテーマにする必要はないわけだし。
地震で弟が死んだ事をただ可哀想、だけで終わらせては、11話掛けてまで語るべきテーマではないよな。
2・建物の倒壊が少なすぎないかしら
東京都内のビルって、築30年や50年を経過した建物は結構多い。
銀座周辺のオフィスビルなんてそんな建物ばかりでしょ。
大地震が起きた場合、こうした建物がどうなるかは容易に想像がつく。
しかし作品中で、建物が倒壊している様子、と言うのはあまり描写されていない。
大きくひびが入ったりとか、一部が崩れたりとか、はあっても、ビル全体が倒壊してる様子はあまり描かれず、姉弟と真理の歩く道にもそう極端な崩壊の様子は描かれていない。
この事は逆に地震の規模が騒ぎ立てるほど大きいものではないような印象を与えかねない。
しかし一方で、青島刑事でも封鎖できなかったレインボーブリッジはいともあっさりと崩壊した。
都心の建物、建築物の中では比較的新しい建物のレインボーブリッジが崩壊したんだ。
それはそれだけの地震の規模=巨大地震である事の表現にもなる。
4話では東京タワーも崩壊してるんだよな。
こうした象徴的な建物が崩壊しているにもかかわらず、他の建築物の崩壊が微小だったりすると、どうにも大地震があったと言う表現がちぐはぐに感じてしまうのだ。
しかも、真理の勤務先のバイク便の事務所があるビルには、事務員の女の子が未だに「誰か戻ってくるかもしれないから」と言って避難もしないで居残ってるんだけど、これは描写としてどーなのよ?
余震も続いている状況に置いて、震源地に程近い場所で、多少なりとも地震の影響を受けた建物に自発的に居残っている事は安全と言えるのか?
なんて言うか、これって地震災害を舐めている描写と言えなくはないだろうか。
地震で建物が倒壊する危険性、例え建物が耐震構造で倒壊しなくても大きな揺れは防ぎきれず、ロッカーや棚が崩れてくる危険だってあるし、時には机の上にあるものが地震の揺れで飛んでくる事だってある。
冒頭の「大地震に対してのシュミレーション」をしてるなら、これらの危険を鑑みる事は十分に出来るはずだし、それでもビルに残っているって言うなら、それが危険である事をちゃんと描写しなきゃいかんはずだ。
こーいう所もどーにも片手落ちなのだな。
他にも、ほぼ都心部を縦断するような行動をしている姉弟達であれば、地震によって生じた地下からの影響とかもあって然り、じゃないだろうか。
東京はその地下に何層にもわたって地下鉄や各種のライフラインが埋設されている物だけど、これらが地震によって影響を受けないはずはなく、とするならば、道路の陥没や上下水道管の破裂、都市ガスの噴出、切れた電線による感電と言った二次災害だっていくらでもあるはず。
しかしこれらの様子も全くと言っていいほど表現はされていない。
三軒茶屋で2日以上に渡って続いてた火事の事もそうだ。
未来、悠貴、真理の3人が三軒茶屋に辿り着いた時には火事は既に鎮火している状態だったが、焼け跡の様な描写はほとんどなかったし、真理の家も火事にあったような様子はほとんどなかった。
都内で2日以上燃え続けている火事が発生したら、相当な広範囲か、相当激しい火災が起きてた事は想像に難くない。
しかもそれを真理は常にワンセグ携帯でのニュースで情報を得ていた。
パニックサスペンスの常道として考えるなら、真理の家に辿り着いた時には周囲は焼け野原に近い状態になってないといけないのではないだろうか。
まぁそうでなくても、不確かな情報で不安を煽る演出がそこまでされてた以上は、その演出に対しての回答的描写は必要なはずなのだが、三軒茶屋の真理の家は、おおよそ火事にあったような感じにはなってなかった。
じゃ上記の不安を煽り続ける演出は何だったの、って事になってしまう。
やっぱりこれも片手落ちだ。
そして最終回の、無事帰還した家(マンション)は地震の前と後でもほぼ変化がなく、そのまま家族が暮らしている事などを見ても、本当に大地震があったのかを疑わせる位の描写になってるのだ。
果たしてこれがリアルなシュミレーションをした結果なのだろうか。
3・弟・悠貴の死亡フラグ台詞がくどすぎる
これだけの大災害があったにもかかわらず、結局主人公、未来の周りで死んだのが弟の悠貴だけ、ってのもアレだけど、この悠貴、8~10話の間の台詞が、最後まで見終わった今に思うとやたらと死亡フラグっぽい台詞を多用している。
曰く、無事に帰ったら○○する とか 将来は○○になる とか。
今やこれらの台詞を吐いたキャラは遠からず死ぬ運命にある、という、一種の法則的な台詞群を「死亡フラグ」と呼ぶようになってる位の、ベタすぎる台詞回しである。
で、確かに、弟・悠貴は10話で死ぬんだけど、実際に死んでいるのは7話位での事で、8~10話の間の悠貴は言ってみれば未来にしか見えない悠貴=幻視って事なんだけど。
まぁ確かに大きな災害で人死にを見たりすると精神的に病んでしまう人も出てしまうんだけど、冒頭で謳っている「リアルなシュミレーション」と、主人公キャラを、気を病んだ人の一種の妄想の様な存在に摩り替えてしまう事は相反するのではないかしら。
100歩譲って、主人公がそうした気を病む様な、幻視を見るような状況に追い込まれてしまったって筋にするなら、主人公視点で幻視と会話するような描写ではなく、同行している真理の視点で、誰もいない空間に語りかける未来の様子を見せて、現実にちゃんと立ち向かう様に諭すような描写の方がリアルではないだろうか。
4・この物語に出て来る多くの人が「善人すぎる」
実はわしはこの点が非常に気になってるのだ。
パニック映画と言うか、大災害を主題にした映画やストーリーってのは、そうした極限状態になった時に人間が本能的にどんな行動を取るか、と言うのが一種の見せ場になってるとわしは思ってる。
まぁわし地震は正直大災害にあった事がないんで、本当にそういう場に出くわしたらどういう行動をとるか、は確かな事は言えないんだけど、しかしそれにしても「東京マグニチュード8.0」の世界においては、これだけの大地震が起きているにもかかわらず、多くの被災者が非常に理性的に行動しているのだ。
この広い東京において、そこまで人間って、大災害にあっても理性的にいられるもんですかねぇ。
そうした様子が垣間見れたのは、せいぜい台場から竹芝桟橋までの救助船に乗れる/乗れないでせめぎ合ってる様子とか、未来がトイレに並んでいるところを横入りしようとした大人くらいかな。
このトイレの列横入りも他の大人が諌めて、それが元で未来に関係なところで小競り合になった程度。
人間って、これだけの極限状態にあっても、そんなに理性的にいられるもんですか?
そこまで出来た人間は限りなく少ない、とわしは思ってるんですけどね。
で、同じような東京での大地震が起きた時をテーマにした他の作品を見ると、人間の本音、というか、身勝手さ、みたいな部分ははっきりと描かれていることが多い。
例えば、同じフジテレビ系で放送されたドラマとして「救命病棟24時 第3シーズン」があるが、これも東京で大地震が起きた場合を想定して、救命に立ち向かう医師の姿を描いたドラマなのだが、ここには救命救急勤務でありながら、すぐに患者が運び込まれてこない事を理由に帰宅してしまう医師や看護婦がいたり、政治家としての特権を振りかざして患者の列に割り込んでくる政治家がいたり、災害ボランティアとして入ってきたにもかかわらず、ボランティアの仕事よりも女の尻を追いかけているような不真面目な輩がいたり、と、ある意味非常に生々しい描写がいくつも見られる。
舞台が救命病院という特殊な状況ではあるけど、避難所での様子や救急救命に不慣れな街中の病院の様子など、被災者達の苦労している様子も数多く描かれている。
古屋兎丸が週刊コミックバンチに連載してた「彼女を守る51の方法」も東京でマグニチュード8の大地震が発生し、偶然居合わせた台場から自宅のある早稲田まで主人公が帰るまでの様子を描いたマンガだけど、こちらはもっと生々しく、暴動やカルトへの勧誘、一緒に避難している女の子がレイプされそうになる等、災害時だからこそ出てきやすい人間の不の感情が数多く描かれている。
こうした同テーマの先達があるにもかかわらず、そのテーマが活かしきれてないのは、『残念』を通り越して『バカじゃない?』って言いたくなるほどだ。
わしは正直、第2話で地面の液状化現象が描かれているのを見て、そしてレインボーブリッジが崩壊する様を見て、ドラマでもマンガでも描ききれなかった、東京での大地震の様子を見れるのかと少々楽しみに思ってたのだ(まぁ不謹慎かもしれないけど)。
しかし4話で東京タワーが崩壊して以降、こうした建物の崩壊の様子はほとんど描かれず、上記の通り、大地震が起きた割には物的被害はさほど描かれず、多くの被災者が非常に善人的描かれ方をしており、しかも弟・悠貴は気がついたら死んでて、しかもその扱われ方は無駄に幻想的に美化されて描かれてて。
ホント、東京タワー崩壊以後は大地震はどーでもよくなってますよ、このアニメ。
もしかして、東京タワー崩壊の5話以降は方針転換してしまったのかもしれない。
第1話を放送して、視聴率やらネットでの批判やらを見て、製作側が方針転換してしまったのかもしれない。
しかし方向転換したというなら、それは正しい方向への転換ではなく、間違った方向への転換だったと言わざるを得ないだろう。
初期に掲げたテーマが完結できなかったアニメはいくつもあるけど、完結できずに打ち切りならいざ知らず、初期のテーマを蔑ろにして誤魔化して完結ってのはそうそうあるもんじゃない。
その意味において、2009年最悪のアニメと評したくむPさんをわしも支持します。
Posted: 10 月 7th, 2009 under TVドラマ, アニメ, ポッドキャスト, 日々雑感.
Tags: 彼女を守る51の方法, 救命病棟24時 第3シーズン, 東京マグニチュード8.0